藤慎太郎のふざけられない話。

歌とギターと明星[Myojyoh]。暮れゆく夢にいま光り届け。

相馬

大分時間は経ちましたが、9/7(sat)SoundStreamSakuraにて明星活動再開となるライブがありました。後日まとめて気持ちを書こうと思っていた矢先にあの大きな台風が日本列島を襲い、色々な事が頭の中をぐるぐる回り、上手く整理するなんて到底出来ないような日々を過ごしています。


あの日、明星として5年ぶりの新曲を演奏しました。”相馬”という曲で、今年の七月に実際に福島行ってこの目で見た風景を書いた作品です。https://youtu.be/kbNWcpDmVmo


あの夏、長引いた梅雨に相馬の空はどんより曇っていました。震災の祈念館や町並みを巡って色んなことを考えました。何にも知らなかったんだなと思いました。


そんな気持ちで眠りについた僕らでしたが、目を覚ますと、カーテンの隙間からは光がこぼれていました。窓の外を見れば、昨日までの天候が本当に嘘のような澄み渡る青空と海。それが何より印象的で素晴らしくて嬉しくて、千葉に帰り、あの旅で見た相馬を思い浮かべて歌を書きました。


あの時から、あの景色を思い浮かべるだけで、言葉では表せない生きる力のようなものが心に滲むようになりました。この不安の絶えない日々で、どれだけの力をもらい続けていることでしょうか。


今回の台風で相馬もかなり被害を受けている様子です。少しでも早く、穏やかな日々がこの島にやってきますように。

 

祈っています。


Shintaro

第四回北初富文化祭を終えて。

第四回目となる北初富文化祭、無事に最後までやりきることができました。

文化祭を終えた朝にこの文章を書いています。頭の中は真っ白で、昨夜はあまり上手く眠りをとることができませんでした。ただTwitterのタイムラインを目で追ってみて、沢山の方々に楽しんでもらえたんだなあということを実感し、それをとても嬉しく思っています。関わって頂いたみなさま、本当にありがとうございました。

最後のご挨拶でも少し話しましたが、このイベントが始まったきっかけは三年半ほど前にあります。自分が少しずつ歳を重ねてきて、良くも悪くもそれぞれの世代やサークルが固まってきてしまっている事に一種の危機感のようなものを勝手に感じていました。

北初富だけの話ではありませんが、世界には音楽に限らず色んな表現があってそれぞれにそれぞれの素晴らしさが確実にあります。ただそれが交わる機会があまりにも少ないのが現状で、もしもそれが出来るのであれば、自分の関われるフィールドで波風を立ててその情景を実際に見てみたい。何かの誰かのきっかけにしたい。そう強く思うようになりました。

昨日までを終えて、それが考えていたように出来てきたかどうかは正直分かりません。ただ、そんなことを忘れるくらいの沢山の笑顔がそこに広がっていたのは確かで、それがすべてだったんだと何となくですが思っています。

自分が感じる未来は生きているかぎりずっと続いていきます。そのなかで何かを失くしたり、イメージできない未来に怖さを覚えたりもします。悩むことはずっと続いていきます。それが現実だと思います。ただ昨日あの場所で、一瞬一瞬を、一緒に過ごせた人達がこの世界にいる、息をしている。もし何かにつまずいたりしたら、そんなことを思い浮かべてみてください。

最後に、みなさん末永く健康第一でお過ごしくださいね。

では振り替えてもらった結婚記念日してきまーす。

 

藤慎太郎

音楽だけでなく。

世の中にはいろんなものが溢れていて、それは音楽に関しても言えること。

昔と比べてスマホなどで簡単に世界中の音楽にアクセスできるようになりました。

以前はCDを買わないと聴けなかった音楽も、現在はサブスクやYouTubeなどで簡単に聴くことができます。便利な時代になりました。

 

CDショップは目に見えて、以前にも増してその存在感をなくしてきています。ショッピングセンターに入っているショップもスペースがだいぶ縮小されてきましたし、そもそも店が入っていない場所も増えてきました。

 

自分も作品を全国流通しているわけではありませんが、今後音源をリリースするにあたって形態をどうしようかとよく考えています。配信は手軽ですし、届けることができない遠く離れた方々にもアクセスできる機会は生まれます。

 

ただ、形を成すものとして手元に欲しい、残したいのも事実。

時代が変わるにつれて「変わっていくこと/変わらずになせること」を上手く混ぜて、柔軟にトランスフォームしていければいいなあ。

歌、はじめます。

ご無沙汰しております、藤慎太郎です。

段々と暖かくなってきた春ですが、皆様お元気にされていますでしょうか。

 

ご報告なのですが、ようやく歌を歌うことができるようになりました。

 

去年の秋に手術をして頂いた都内の病院。

リハビリの先生から声帯を整える訓練を教わり、それからずっと声を出す練習にいそしんで参りました。壊す前一体どうやって出してたのかなあと分からなくなる時間が長く続きましたが、いろんな方のご協力によって先月ついに完治の診断を受けました。

 

終わってみればあっという間な気もしますが、何回奥さんをリアルに泣かせたかと思うと頭が上がらず、その分健康で長生きせねばと筋力増強訓練にハマっております。少しベクトルが明後日の方に向かっている気もしますが。

 

休止をしたのは2018年の1月ですが、実際にぶっ壊したのはその前の年の8月。

歌えなくなったおかげで見つかったものも沢山あり、結果としては良かったのかなと思えるところもあります。ただ家庭に多大なご迷惑をかけるのでもう2回目は勘弁願いたい所存でございます。

 

まずは元気な姿を見せるのが一番。

でもせっかく帰ってこれたのでいい恰好したい。

 

新しい気持ちで、

藤慎太郎、はじめます。

 

皆様今後もよろしくお願いいたします。

 

shintaro